前回の記事に関連した内容です。
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烏丸通を挟んで俊成社の西側のエリアには、新玉津島神社という名前の社があります。

現地の説明書きによると、この辺りも藤原俊成の邸宅跡にあたる場所だとか。

この神社は、後鳥羽天皇の勅により俊成が和歌山県にある玉津神社から和歌の神様である衣通郎姫(そとおしのいらつめ)を勧請したことに始まるそうです。
この和歌の神様の名前は今回初めて知りました。

社殿です。
鳥居の下にある新玉津島神社の名碑には、北村季吟の名前も彫られていました。

北村季吟は、昨年の大河でも話題になった『源氏物語』の注釈書である『湖月抄』を記した人物です。
(昨年末の京都検定1級の問題あたりで「北村季吟」「湖月抄」のどちらかで出題があるかと思ったのですが、残念ながらありませんでした)
彼は『おくのほそ道』で有名な松尾芭蕉の師でもある人で、この地に宮司として住みつつ、万葉集の注釈書をまとめていたそうです。
16歳で京に出たあとには安原貞室という人に師事して俳諧を学び、19歳のときに貞室の師である松永貞徳の門下に入ったとか。
松永貞徳といえば雪月花の名庭苑を造ったことでも名高い俳諧の祖です。
芭蕉も貞徳の門下に入っていたことがあるようですから、広いつながりがあったということになりますね。
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さいごに
俊成という人を語るとき、藤原定家の父である藤原俊成と紹介されているのをよく見かけるのですが、和歌の才能はどちらの方が優れていたのでしょうか?

親子にわざわざ優劣をつけるのは良いことではないのかもしれませんが、個人的な印象としては、父である俊成の方が優れていたのではないかと考えていることもあって、俊成が定家の名前の陰に存在しているような紹介のされ方には少し疑問を感じてしまうのでした。
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