京都検定的定番の名所に、先日ようやく出掛けて来ました。

五條天神宮です。

長岡京からの平安遷都の際に、桓武天皇に命ぜられた空海が、大和の国から天神を勧請したことがその始まりだそうです。
洛中では最古の社だともいわれています。
現在でこそ住宅街に溶け込んでいますが、創建当時は広大な森の中に建ち、南は六条まで広がっていたとか。

祭神には薬の神様でもある「少彦名命」がおられるため、医学系のご利益もあるようですよ。
源義経について書かれた『義経紀』では、義経と弁慶が出会った場所ともされているようです。
私はてっきりその場所は「五条大橋(現在の松原橋)」だと思っていたので、諸節があったことに驚いてしまいました。
五條天神宮も松原通に面してはいるので、大まかに考えてこの辺りということでしょうか?
(とはいえ1キロ程度距離がありそうです)

さて五條天神宮は、別名(通称)天使社ともいわれています。

創建当時は天使社の方で呼ばれていたようで、五條天神宮と呼ばれるようになったのは、後鳥羽上皇の時代からだそうです。
さて、豊臣秀吉の時代、彼が京都で行なった政策の一つに「天正の地割」があります。
新たな通りが新設されたり、町割りが変更されたりしました。
その際に五條天神宮の境内を新たな通りが貫通し、新たな町が開かれたことから、その通りの名前は天使突抜通と呼ばれるようになり、周辺の町名は天使突抜になったことは有名な話ですね。
天使突抜通りは現在の東中筋通にあたり、現在の五條天神宮境内の東側から南へ、天使突抜一丁目、二丁目、三丁目、四丁目とその歴史が残されています。
さいごに
平安京遷都時からの洛中最古社ということは、数え切れないほどの様々な人々の想いが込められてきた社だということになります。
その上、医学の神様をお祭りされているということですから、都として1200年の歴史をもつこの地で、幾度もの疫病から民を救う役割を任されてきたわけです。
実際に、疫病を防ぐことができなかったとして責任を問われたこともあるようで、現代のように医療が発達していない時代においては、今では考えられないほどの重責があったのではないかとも考えられます。
偶然にも、今この時期7月には同じ京都の地で、疫病から町や民を守るための祭である祇園祭が行われています。
観光客目線ですと、ついそういった有名で大きな神社や行事にばかり気を取られてしまいますが、住宅街に溶け込み、それぞれの地域に根付いている社寺の歴史や果たしてきたその役割にも強く関心を抱いてみると、新たな視点でより深く京都の歴史について考えることができそうですね。
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