先日、相国寺の境内を少し散歩しました。
経蔵や塔頭の養源院がある方から入ったのですが、その際に見つけたのが「後水尾天皇髪歯塚」です。

公式ホームページによると、昔この辺りには大塔があったそうです。
それより前に焼失していたものを後水尾天皇が再建し、自分が出家したときの髪と歯を塔の内部に納めたとのこと。
しかしながら再建されたその塔もまた焼失してしまいます。
1788年の天明の大火が原因だそうです。
天明の大火は現在の団栗辻子の民家が出火元で、団栗辻子は四条大橋よりも少し南ある通りです。
相国寺までは距離があるので、令和の感覚ですと「そこまで燃えるものなのだろうか?」と思ってしまうのですが、東からの強風の影響があったそう。
そのために火は鴨川を越え、北は鞍馬口通のあたりまで被害が広がってしまったようです。
というわけで現在の髪歯塚は、天明の大火で焼失した大塔の跡に作られたものだそうです。
後水尾天皇の髪歯そのものは、大塔の上層に納められていたそうなので、恐らく塔とともに燃えてしまったとは思うのですが、現代まで塚として残されているのは凄いですよね。
さいごに
それゆえ、なぜ相国寺内に髪歯塚だけが相国寺にあるのかと思ってしまったのですが、後水尾天皇が相国寺で出家したからだそうです。

天皇の中には出家したあとも引き続き政治に関わり、院政を行なった方も多いですが、今まではどの天皇がどのお寺で出家したかまでは興味が無かったので、これを機会に少しずつ調べてみようかと思っています。
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