立華の京都探訪帖

1200年の都を歴史・文化的視点から楽しむ旅記録 ᝰ✍︎꙳⋆

『源氏物語の作者を知っていますか』

久しぶりに読書感想の回です。

 

\今回の本はこちら!/

 

昨年から、源氏物語関連や平安時代の文化本を読んでいるのですが、今回は源氏物語の作者である紫式部についての本を選んでみました。

ただ実際に本を読み進めてみると、紫式部の略歴や人柄についてだけではなく、平安時代そのものについてや、藤原道長との関係、『源氏物語』についてなど、かなり多面的に書かれていました。

それもあってボリュームは400ページ近くもあり、一気に読み進めるにはなかなかに重厚感があります。

逆を言えば、あれこれと何冊も本を読むのは面倒だけれど、一冊で源氏物語紫式部について理解したいという方にはおすすめできる本なのではないかと感じました。

 

今回は紫式部自身について知るためにこちらの本を読んだので、文化的な内容についての感想は省きたいと思うのですが、和歌についての視点が何度も登場するので、文化に関してはその点についてだけ感想を書いておきたいと思います。

 

まず冒頭に、平安時代の教養についてが書かれていました。

この時代の教養である、文芸、文字、音楽を上げつつ、その部分から紫式部という人について、またその時代について読み解いている点が面白かったです。

当時は男女関係のやり取りは和歌から始まっていたわけで、まず第一に歌を詠む才能がある人(教養がある人)はモテるという点が、現代とは異なっているのではないでしょうか。

もちろん『源氏物語』の内容にもあるように、実際に顔を合わせてみたら好みではなかった、酷い顔だったなどということもあるわけですが、見目麗しくても教養がなければ興醒めということも同じようにあったわけで、そこが現代とはかなり異なる点だなと思いました。

(現代では教養がなくとも、ある程度見た目が良ければ気にしない人が大勢いるように感じられるため)

 

さて紫式部の人柄についてですが、今回こちらの本を読んだことで新しく感じたのは、一般的に知られている紫式部清少納言への嫌悪感の正体についてです。

今まで私は紫式部の性格については、一般的に言われているように、根暗で引きこもりで、華やいでいた清少納言や定子への嫉妬があると思っていました。

しかしながら今回、それは本当に嫉妬なのか?と思うようになりました。

こちらの本の中では、紫式部が自分を卑下することで主君の家(道長家の人々)を称賛していたということが書かれていました。

つまり紫式部は本当に鬱々として、キラキラ輝くタイプの人々に対して捻くれた感情を持っていたわけではなく、わざと自分が鬱々として見えるように演出していたのではないかということです。

もちろん宮仕えが始まったころに引きこもりになったことは事実ですが、どうやらそれは宮仕えを始めた人によくあることで、決して紫式部にだけ起こったことではなかったそうです。

自分を卑下し相手を立てることを美徳とする性格だったわけですから、清少納言のように、定子を称えるために本人や周囲を必要以上に飾り立て、今でいう「盛る」というような表現をしながら、あたかも全てが真実だと言わんばかりに『枕草子』を書き綴ったことが許せなかったのかも?と思うようになりました。

紫式部日記に書かれている清少納言への批判は、とにかく自分と周りを過剰に良く見せようとする姿勢への批判かも?)

清少納言の人柄については、大河ドラマでもそのように描かれているように感じましたが、清少納言は明るく、はつらつとした性格で、物怖じせずに自分の教養をひけらかす人というような印象を持つ方が強いと思います。

しかしながら実際には定子の落ち目を受け入れられず、今風に言えば現実逃避に走ったりする清少納言の弱さを、紫式部は冷めた目で見ていたのかもしれないと思いました。

だとするとそれは決して嫉妬などという感情ではなく、哀れみの感情を含んでいたと思います。

2人にとって何を美徳だと感じるかの違いが、現代の私たちにとっての二人の印象を正反対なものにしているのではないでしょうか?

 

だからといって紫式部が奥ゆかしい人かと言われると、自分の考えをはっきりと主張する人ではありますから、それもまた違うように感じますよね。

今回こちらの本を読んだことで、私たちが思っている以上に、紫式部という人は冷静に物事を見ている人だったのかなと思うようになりました。

 

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