6月7月の京都旅では、織田信長に関する場所をいくつか巡ったのですが、併せて明智光秀ゆかりの地にも足を運びました。
知恩院の近くにある明智光秀の首塚
場所は知恩院、白川のほど近く。
市営地下鉄東山駅から白川沿いに南へ向かうと、わかりやすい看板が見えてきます。
英語のみならず、ハングル、中国語で案内がなされていることにも驚きです。
訪れる方は国籍問わず多いということなのでしょうか。
高札に詳細が書かれているので詳しくは触れませんが、首塚はもともとはこの場所になかったということに驚きました。
詳しい知識がないので疑問なのですが、此処が墓ではなく塚なのは何故でしょうか?
墓と塚の違いをググってみると大まかな違いはわかるのですが、どうしてこの場所が塚と呼ばれているのかという疑問は解決しませんでした。
今はこのようにお堂が建てられ、明智光秀がしっかりと祀られていますが、昔はそうではなかったからでしょうか?
明智光秀に関わらず、塚に祀られている人物は他にもいるように思います。
時間があるときにじっくりと調べてみる必要がありそうです。
さいごに
京都市内に限らず明智光秀にゆかりの地は多々ありますが、いわゆる墓(塚)とされているのはこの首塚と山科にある胴塚の2つでしょうか?
私は墓マイラーでもないのであまり詳しくはないのですが、もしかするとまだ他にもあるのかもしれません。
それは別としても、今年中に他の明智光秀ゆかりの地にもなるべく訪れてみたいと思っています。