幕末の京都。
産寧坂には、当時の志士たちに親しまれ・密議の場でもあったといわれる料亭があります。
それが明保野亭です。
写真右側にある建物です。
(厳密には現在の建物は当時のものではなく、場所も現在地より北東にあったそうですので、その点はご注意ください)
なんと昨日の4/23。
明保野亭の枝垂れ桜が倒木してしまいました。
上の写真にも写っている緑の木です。
今まで気にしたことは無かったのですが、確かにこれだけ枝垂れていたら危険がありそうな気もしてきます…。
怪我をされた方もいらっしゃるとのことで、一日でも早いご回復を祈るばかりです。
さて、この明保野亭は、幕末の志士ゆかりの地というだけでなく、池田屋事件の残党狩りに際して新選組の一部もこの料亭に乗り込んだことがあるため(世にいう明保野亭事件)、新選組ゆかりの地の一つともいえる場所です。
コロナ禍の影響でここ数年は休業されていたのですが、今年の4月1日、なんと抹茶カフェとして生まれ変わりました。
新しい名前は「京都 茶の湯 明保野亭」です。
オープンしたばかりのこともあり、あまり情報がないため、近いうちに出掛けてみようと思っていたのですが、昨日のこともありますし、しばらくはあの辺りはどうなるのでしょうか?
というわけで新しい明保野亭に出掛ける前に、以前の明保野亭について振り返ってみることにしました。
以前は料亭の流れをくむお食事処だった
カフェとして生まれ変わった明保野亭ですが、以前はお食事処でした。
訪れたのは今から随分と前になりますが2017年の1月。
当時は京都にも閑散期があり、冬の京都はかなり空いていた記憶があります。
ということで、おやつ時に訪れた明保野亭は貸し切りでした。
落ち着いた店内。
坂本龍馬も訪れたという明保野亭には、龍馬の名前がついたメニューがありました。
龍馬御膳です。
私が注文したのはお造り御膳だったかと思いますが、かなり食べ応えがあった記憶があります。
貸し切りだったのでお店の方に非常に良くしていただき、是非またお邪魔したいと思っていました。
実際の明保野亭はこの場所よりももう少し北東にあったとのことで、現在の建物に幕末志士たちが訪れたわけではありません。
しかしながら、有名な歴史小説にも登場し、歴史ファンにも人気のあるお店がまさか閉店してしまうとは思ってもみませんでした。
憎きコロナ…!
もう二度とお食事処である明保野亭にお邪魔できないことを思うと、非常に残念でなりません。
さいごに
確かにお食事処・明保野亭が無くなってしまったことは非常に残念ではありますが、明保野亭の存在が別会社によって受け継がれたことは嬉しく思います。
そうでなければその存在すら、この世から消えてしまっていたかもしれません。
料亭・お食事処ではなくなってしまったとはいえ、令和の時代にも、産寧坂を訪れる人々の憩いの場となるであろう明保野亭。
このエリアはいつ訪れても混雑必至のため、足が遠のいてしまう場所ではありますが、これからはなるべく足を運んで思い出を作りたいと思っています。