今回も引き続き、島原エリアについてお届けします。
直近3回の投稿では、島原の遺構3箇所について投稿しました。
今回は島原エリアにある、その他の見どころについて書いていきます。
京都人の暮らしを支える中央卸売市場
JR丹波口駅から島原の遺構見学に出かけるならば、誰しもがその近くを通るであろう建物。
それがこの京都市中央卸売市場です。
京都市中央市場は日本初の中央卸売市場として、昭和2年に開設されました。
今年の4月には、すぐそばの水産棟に見学エリアがオープンし、早朝に行われるせりのみならず、市場で働いている方の様子が見学できるようです。
平安京の痕跡
この島原エリアにおいて、特に現在JRの山陰本線が通っている辺りには、平安京があった時代、朱雀大路(のちの千本通)が通っていました。
そのため、平安京があった時代の痕跡をいくつか見付けることができます。
朱雀大路があったことを示す銘板です。
角屋のすぐ近くには、東鴻臚館の趾を示す石碑も建っています。
鴻臚館とは、平安時代などに使われた外国からの使節をもてなすための施設のことです。
迎賓館とも言われます。
この鴻臚館は朱雀大路を挟んで左右対象の位置にもう一つあり、そちらは西鴻臚館と呼ばれていました。
つまり鴻臚館は二つあったわけですね。
島原西門と歌舞練場跡
花街・島原にゆかりの場所もまだまだあります。
下は島原大門(東門)が出来たのちに作られた西門の跡地です。
ちょうど京の夏の旅についての地図案内が出されていました。
すぐ隣には島原住吉神社もあります。
上は島原の歌舞練場跡に残る石碑です。
現在この場所にはデイサービスセンターが建っています。
祇園エリアなどの花街には現在も歌舞練場があり、劇場としてだけではなく、芸妓さんや舞妓さんたちの鍛練の場としても花街を象徴する存在となっています。
久坂玄瑞ゆかりの地でもある角屋
京の夏の旅2023③の回でご紹介した角屋は、新選組にゆかりの場所であるだけでなく、久坂玄瑞などの幕末の志士たちも多く訪れたと言われる場所です。
久坂玄瑞は吉田松陰の愛弟子とも言われ、松陰の妹:文と結婚するほどその師弟関係は良好だったようです。
新選組も参加した禁門の変(蛤御門の変)にて久坂玄瑞は自刃によりその生涯を終えますが、その久坂玄瑞はよく角屋で密議を重ねていたとして、すぐ近くにはその歴史が残されています。
さいごに
さて今回で島原地区についての投稿は終わりますが、いかがだったでしょうか。
島原エリアって旧花街としての印象しか無かったけれど、他にもいろいろと見る場所があるんだなと思ってくださった方も多いのではないでしょうか?
そこまで広くはないエリアですので、是非のんびりと散歩しながら、京都のさまざまな時代の歴史を味わってみてください。