前回の続きです。
今回は京の夏の旅2023、島原エリアについて書いています。
そもそも島原ってどんな場所?
島原は、日本で初めて公式に認められた廓(花街)であり、歴史ある花街です。
現在、島原と呼ばれる地域があるのは下京区の西新屋敷町という場所です。
つまりこの島原という名前は、この地域の正式な名前ではありません。
それではなぜ、この地域が島原と呼ばれるようになったのでしょうか?
この花街は、初めは二条柳町に開かれ、そののち六条三筋町へ移ることになります。
現在地に移転してきたのは1641年のこと。
「その時の移転騒ぎが日本史上でも有名な、九州の島原の乱を連想されたことから、この地が島原と呼ばれるようになった」
というのが一番有力な説のようですが、その由来にはさまざまな説があるようです。
つまり島原という名前は正式なものではなく、あくまで通称である、というわけですね。
現在の島原エリアには、旧揚屋の角屋と旧置屋の輪違屋をはじめ、島原大門の三か所がその遺構として姿を残しています。
3.角屋(もてなしの文化美術館)
現在の島原エリアでは、訪れたことがある方が最も多いと思われるのがこの角屋でしょう。
元々料亭(料理屋)だった角屋は、新選組や幕末志士、文人などにゆかりがある場所でもあります。
一体どの隊士がこの角屋を利用していたのだろうかと想像してみると、新選組ファンならワクワクしてしまいますね。
輪違屋が旧置屋と呼ばれるのに対し、角屋は旧揚屋と呼ばれています。
揚屋というのは遊宴会場にあたり、置屋から派遣されてきた太夫や芸妓とともに、食事や歌舞、お茶会や句会などを楽しむ場でした。
調べてみると、そもそも料理屋というのは江戸時代に発達したものでその当時は料理と遊興はセットだったようなので、揚屋が調理場付きの宴会場だったことは珍しい事でもなんでもなく、当たり前のことだったと言えるでしょう。
高級料亭だった角屋の姿を見ることが出来るのは、下の写真に見られる大きな台所でしょうか。
寺院の台所、庫裏にも似ていますね。
建物の上部には窓がたくさんありました。
換気扇などというものが無い時代、煙などを外に出すには窓がたくさん必要だったそうですが、昼間は自然光が差し込むので内部が明るいという、一石二鳥の窓でもあります。
それは一階部分が下の写真のように台所や居住部分となっており、お客さまをもてなす場所は二階部分だったからです。
つまり二階へお客さまを「揚げる」ことから、角屋を揚屋と呼ぶようになったとのことでした。
(角屋公式パンフレットより)
その話を知ると、なるほど!と思いますよね。
そのままではありますが、それがまた面白い。
しかしお客様を二階に揚げていたのは、そもそも一階にお客様をもてなすスペースがなかったからで、角屋の敷地面積が少なかったことが理由です。
間口が狭く、奥行きのある建物が一般的であった京都の建物。
つまりあの有名な「鰻の寝床」というやつです。
京都を代表するその建築が角屋にも当てはまることを知ったとき、思わず驚いてしまいました。
京都においていわゆる鰻の寝床であったのは、一般的な庶民の住宅だけだと思い込んでいたからです。
今の角屋と昔の角屋を古地図で比較してみたいですね。
江戸時代中期以降には、角屋などの揚屋は隣接する敷地を買い増していきます。
よって一階部分にも宴会場を設けることが出来るようになり、現在のような広い敷地を持つようになったようです。
上の写真は松の間と呼ばれ、新選組初代局長:芹沢鴨一派が、暗殺される当日に宴会を行っていたといわれる座敷です。
こんなにも素敵なお座敷で行われる宴会代は、どれほどのお値段だったのでしょうね。
岸派が描いたという襖絵が、とても美しかったです。
松の間がそう呼ばれる所以は、上の写真のように向かいの庭に臥龍松があるからです。
枯山水の白砂が緑によく映えていました。
奥に見えるのは茶室ですが、このお庭一つ見ても、角屋が単なる遊宴の場(飲んで歌って楽しむだけの場)ではなかったことがわかります。
角屋という場所の存在意義が、日が沈み、辺りが暗くなった夜、明かりを灯したお座敷内でただただ遊宴することだけであったならば、日中にこそより楽しめる枯山水のお庭も必要ないですし、文化交流の場でもある茶室の存在も不要だったことでしょう。
しかしそれらを備えているということが、角屋がこの時代の人々にとってどれほどの存在であったのかということを、私たちに教えてくれているのだと思います。
さいごに
初めて角屋を訪れたのはもう何年も前のこと。
京都定期観光バスのツアーを利用した時でした。
参加人数が多く、夜だったこともあり、その際にはゆっくり写真を撮る時間もなく、角屋の歴史や存在意義をしっかり学ぶ余裕も無かったのですが、今回はゆっくり楽しませていただきました。
長くなってしまったので、輪違屋についてはまた次回にお届けしたいと思います。