前回の続きです。
今回は島原エリアの特別公開うち、輪違屋についてお届けします。
置屋というのは、前回の投稿でご紹介した角屋のような揚屋にお抱えの太夫・芸妓を派遣する場所であり、彼女達の住居でもありました。
他の花街でいうところの「屋形」と同じです。
この輪違屋は、現在の島原で唯一営業を続けている置屋兼お茶屋でもあります。
4.輪違屋
私が「輪違屋」の存在を初めて知ったのは中学時代。
学校の図書下に浅田次郎の『輪違屋糸里』が所蔵されており、それを手に取ったときが初めての出会いでした。
当時の私には内容が難しく完読することは出来なかったのですが、その内容の全てが創作に過ぎないと思っていたので、「輪違屋」という場所が本当に存在することを知ったときにはとても驚きました。
特別公開に参加出来たのも今回が初めてだったので、終始ワクワクが止まりませんでした。
1階は写真撮影可能ということで、ガイドの方にも好きなだけ撮ってくださいねとお声掛けいただいたのですが、全てを載せると長くなってしまうのでお気に入りだけをご紹介。
一階の主座敷、主の間です。
外のお庭も美しかったのですが、今回は中に飾られていたお品をご紹介。
上の写真は吉野太夫の掛け軸です。
書かれている内容は、お客さまに宛てた恋文だとのこと。
自分の恋心をさらっと読めてしまう太夫のその教養の深さに、思わず感銘を受けてしまいました。
太夫は豊かな教養を待ちわせていなければならず、花街にいる他の単なる遊女とは全く違うと言われますが、その事実にも納得です。
同じ部屋にあったこちらも、太夫たちがお客さまに宛てて書いた文だそうです。
お礼文のような一般的なお手紙だそうですが、一つひとつについての詳しい内容まではわかりませんでした。
もしかするとこの手紙の中にも誰かの恋心が隠されているのかもしれないと思うと、何だかとても微笑ましい気持ちになります。
ずっとお目に掛かりたいと思っていた新選組局長:近藤勇の書が飾られた屏風も、念願叶って拝見出来ました。感激です。
正式名は『近藤勇墨跡屏風(こんどういさみぼくせきびょうぶ)』。
同じ主の間に置かれていました。
今回の特別公開では、襖に貼られた道中傘がインパクト大な傘の間や、本物の紅葉がその型を残す紅葉の間がある2階部分も拝見し、その意匠に驚かされるばかりでした。
さすが花街!と思わざるを得ない、豪華な装飾やこだわりは一度観たら忘れられないほどです。
2階の傘の間には、かしの式に使われる道具(盃台など)も展示されていました。
かしの式とは、置屋から呼んだ太夫をお客に紹介する際に行われる儀式のことです。
儀式というと非常に堅苦しい印象を受けますが、そもそもが現代にもよく知られた太夫道中と言葉も、太夫が置屋から揚屋へ練り歩く様子を言い表した言葉であり、一種の儀式であるわけです。
ですから、かしの式も太夫道中と同じように非常に格式高い文化・しきたりと言えます。
かしの式は、京都検定の公式テキストにもその名の記載があるため、検定対策の勉強をされている方ならば必須項目だと言えるでしょう。
私も京都検定でかしの式の存在を知った身としては、その道具たちを目にした瞬間、これが例の!と興奮してしまいました。
実際にお座敷で太夫さん・芸妓さんとお茶屋遊びをする機会などは死ぬまで無いと思っているので、島原の伝統の一つをこの目で見られたことが本当に嬉しかったです。
さいごに
輪違屋の家紋は二つの輪を違えたデザインです。
シンプルでありながらもどこか可愛らしく、親しみを覚えずにはいられません。
私はこの家紋に気品を感じます。
というわけで私はこの家紋が大好きなのですが、屋内外問わずさまざまな場所に散りばめられていたので、ひたすらにこの家紋探しを楽しみながら内部見学させていただきました。
同じ花街にあり、ともに花街文化を作り上げてきた存在でありながら、その建物の中を拝見すると、全く違った印象を受けました。
角屋はお客を迎える場所であるわけで、とにかく華やかで、豪華。
お客をもてなすためにはそれ相応の見栄えが必要だったのだと思いますが、そこは公の場であり、誰かの生活感というものを感じることはありませんでした。
一方の置屋は、現在も現役のお茶屋でありながら現役の置屋でもあり、太夫や芸妓の日常を垣間見ることが出来るような空間でもあります。
昨年末にはクラウドファンディングを実施されていたようなのですが、私は最近までそのことを知らずにおりました。
今回、京の夏の旅で心の底から見学を楽しませていただいた身としては、参加出来なかったことが本当に悔やまれます。
またの機会があれば是非参加させていただきたいと思っています。
以上4箇所、京の夏の旅2023の参加記録でした。