立華の京都探訪帖

1200年の都を歴史・文化的視点から楽しむ旅記録 ᝰ✍︎꙳⋆

京都御苑内跡地めぐり(西園寺邸跡編)

 

先月京都検定の帰りに京都御苑に寄った際、児童公園のあたりから御所の西側を閑院宮邸跡まで南下しました。

京都御苑には至る所に○○跡と名の付く場所があり、駒札と目印の柱が建っているだけの場所も多いのですが、歴史好きにとっては非常に見どころ満載の場所だと思っています。

というわけで跡地の一つでもある西園寺邸跡に寄ってみました。

 

京都御所の南南西にある西園寺邸跡

京都御所の南、建礼門から南下していくと右手にあるのが西園寺邸跡です。

(下の写真は一本西の通りから撮影)

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西園寺家は元は藤原家であり、藤原北家閑院流一門の公家です。

京都検定的にみるもと藤原北家と言えば、薬子の変に関係して設置された蔵人頭でもある藤原冬嗣でしょうか。

 

西園寺の名は、現在の金閣寺の地に建てた北山の別荘・北山殿を西園寺と読んでいたところから来ているそうです。

下の駒札によると現在の京都御苑内の地には、1769年に移ってきたようですね。

しかしながら京都御所の周辺に公家町が出来始めたのは豊臣秀吉が政権を握っていたころなので、もし1700年代にこの地に邸宅をもったとすると、他の公家たちよりも随分と遅かったのだろうか?などと、知識のない私の頭には疑問が浮かんでしまいました。

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かつてこの地には、旧総理大臣でもある西園寺公望により造られた私塾がありました。

それが今の立命館大学の前身です。

すぐ近くに同志社大学があることを考えると、個人的には考えさせられるものがあります。

 

西園寺邸跡の駒札が立つ場所より少し南へ行くと、同じ邸跡内に白雲神社があります。

そちらでは西園寺家が琵琶の宗家であることがわかるものを見つけることが出来たので、また次の機会にまとめたいと思います。

 

さいごに

西園寺家藤原北家からの分立で生まれたということを、今回初めて知りました。

そもそも五摂家といわれる近衛家九条家などの摂家も、元々は藤原氏であったということも知りませんでした。

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今年の大河は平安時代を取り扱っており藤原道長も登場しますが、藤原氏の力って本当に凄かったんですね。

現在は道長氏について勉強中でもあるので、また余裕があれば気になったことなどもまとめられたらと思っています。