今回は久しぶりに織田信長関連の投稿ですが、引き続き京都御苑散策についての内容をお届けします。
京都の歴史には何度も二条城という存在が登場します。
それらはすべてが同じものというわけではなく、壊されては作られ、壊されてはまた作られてきたものです。
ただしすべてが同じ場所に同じ人物によって、繰り返し建設されてきたものではありません。
その中でも現在の二条城は一番新しいものです。
京都御苑には、織田信長が建てた二条城の遺構が残されていることをご存知でしょうか?
椹木口にある二条城の遺構:石垣
京都御苑には9つの御門と5つの出入口があります。
椹木口(さわらぎぐち)は京都御苑内の南西の方角に位置し、現在は収納展示館になっている閑院邸跡のすぐ北にある出入り口です。
訪れた際には銀杏が散りかけていましたが、見頃の時期は素晴らしいのでしょうね。
石垣の近くには説明の記載がある石板がありましたが、光の加減ではほとんど読み取れないほどに劣化していました。
全く読めないということもないのですが、時間が掛かりそうです。
以下が二条城(旧)の石垣です。
これは元々この場所にあったわけではなく、市営地下鉄烏丸線の工事の際に発掘されたもので、その後この場所に移築されたのだそうです。
この部分だけ統一感なくバラバラと石が積み上げられている感じなので、現地へ足を運んでみると比較的簡単に見付けられるかと思います。
さいごに
この椹木口に移築された石垣は、織田信長が最後の足利将軍:足利義昭のために建てた二条城のものです。
足利義昭は織田信長のおかげで第15代将軍になることができたものの、のちにその関係は悪化し、京都から追放されることになりました。
その後義昭の二条城は破却されますが、その際のものが現代まで残っているなんて戦国ファン(特に織田信長ファン)には嬉しいことですよね。
京都では度々歴史の遺物が発掘されるので、その情報は常にチェックしておきたいところです。