立華の京都探訪帖

1200年の都を歴史・文化的視点から楽しむ旅記録 ᝰ✍︎꙳⋆

約700年前の消失から再建!大覚寺の名古曽橋

 

今年の2月、嵐山・嵯峨野エリアにある大覚寺の大沢池に新たな橋が掛けられました。

厳密にいうと、まったく新しい橋を作ったのではなく、過去にあったものを再建したのだそうです。

上の記事によると、橋は元々大沢池にある天神島に掛かっていたもので、南北朝時代の兵火で焼失してしまったとのこと。

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話題になっていたので少し落ち着いた頃に出掛けてみようと思っていたのですが、先日ちょうど嵯峨野に用事があったので、ついでに見に行ってきました。

 

橋が焼失したとされる時代について

約700年前の南北朝時代(1336年~1392年)といえば、2人の天皇が両立した時代です。

一方の派閥は「大覚寺統」と呼ばれていたわけですから、この2者間の争いには少なからず大覚寺も関わっているわけです。

大覚寺の公式ホームページによると、1336年の火災でほとんどの堂舎が燃えてしまったそうですが、この火災はこの南北の争いによるものなのでしょうか?

知識がないのでそこまではわかりませんが、もしかすると今回再建されたという橋は、この時に焼けてしまったものなのかもしれません。

 

再建された橋の名は「名古曽橋」

大覚寺で「名古曽(なこそ)」といえば、ピンとくる方はたくさんいらっしゃると思いますが、大覚寺の大沢池にはかつて名古曽の滝というものがありました。

遥か昔に枯れてしまっておりますが、現在も滝跡として残されています。

この橋を渡るとその滝跡へと続くということで、この橋は「名古曽橋」と命名されたそうです。

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真新しいので、現在はその白さが際立っていますが、これから少しずつこの景色に馴染んでいくのでしょうね。

 

さいごに

インバウンドも増えているので本堂エリアは人が多かったですが、大沢池は敷地が広いこともあって悠々と散策することができました。

名古曽の橋の下にはちょうどスイレンが咲いていたので少し写真を撮ってきました。

次の投稿でご紹介したいと思います。

 

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