立華の京都探訪帖

1200年の都を歴史・文化的視点から楽しむ旅記録 ᝰ✍︎꙳⋆

11月18日は「油小路の変」が起こった日

 

11月には池田屋事件に並び、新選組ファンにとって特別な日があります。

そう、本日11月18日は「油小路の変」が起こった日です。

 

油小路の変とは?

池田屋事件禁門の変を経て活躍を見せた壬生浪士組新選組)は、隊士の数を増やすべく、江戸などで募集活動を行っていきます。 

そんな時に古参でもある藤堂平助が仲間に呼び込んだのが、かつての自分の師とその仲間たち。

のちに御陵衛士として新選組から分離する伊東甲子太郎一派でした。

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伊東甲子太郎は文武両道。

そんな伊東の存在に、新選組トップの近藤勇は危機感を募らせていたとも言われています。

新選組はそもそも佐幕派

江戸幕府を支持する考え方が基本で、日本は幕府が動かしていくべきだという思想です。

一方の伊東は、分離後に御陵衛士を名乗っていることからもわかるように天皇の存在が一番であり、江戸幕府のために命を賭けようという意志は最初から無かったわけです。

つまり伊東一派は尊王論を掲げていました。

 

攘夷という考え方では通ずる部分があるとはいえ、あくまで佐幕派尊王派。

そんな彼らがいつまでも共に活動出来るはずが無かったとも言えるかもしれません。

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あるとき、新選組から分離した伊東一派が近藤の首を狙っているという話が新選組の耳に入ります。

それならば先に向こうをやってしまおうと新選組が動いたのが、油小路の変です。

新選組に襲われた伊東甲子太郎は、京都駅からほど近い本光寺の前で斬殺されました。

 

しかしそれだけで油小路の変の全てが終わったわけではありません。

あくまで伊東の斬殺は事件の序章に過ぎず、その後、新選組は伊東の遺体を現在の七条油小路まで運び、息の無い彼を囮として残りの御陵衛士を殲滅する計画を立てていました。

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ちょうど写真の交差点の辺りで新選組御陵衛士が斬り合うことになります。

御陵衛士における死者は伊東含め4人。

残りの御陵衛士薩摩藩邸に駆け込むなどして何とか逃げ切り、たまたま京にいなかった人間が数名いたこともあり、御陵衛士の多くが助かりました。

 

伊東が本当に近藤の首を狙っていたかどうかの真偽ははっきりしていません。

そもそも新選組からの分離自体も、世の目を欺くためだったのではないかという考え方もあります。

どちらにせよ大切な師を奪われた残りの御陵衛士たちは、その恨みを晴らすべく近藤を狙うようになってしまいます。

鳥羽伏見に始まった戦いの中で新選組と同じように残りの御陵衛士も戦死し、その数を減らして行きました。

それでも最後には彼らはその恨みを晴らします。

流山で投降した近藤の正体を暴くことで彼を処刑に導き、ついに復讐を果たすことになりました。

 

さいごに

本日11月18日、本光寺では法要が行われました。

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新選組のファンの多くは試衛館組が絶対的な存在であり、池田屋事件ののちに合流し分離する御陵衛士の存在は悪なのかもしれません。

確かに御陵衛士の生き残りがいなければ、近藤さんが板橋で斬首されることもなく、残された土方さんが死に場所を求めて北へ北へと向かうこともなかったかもしれません。

しかしながら新選組にしても御陵衛士にしても、彼らは自分たちの正義のために生き、そして行動しただけと言えるでしょう。

(そうは言っても悲劇だとしか思えないですが…)

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(昨年の法要日に本光寺でいただいた記念切り絵御朱印、お気に入りなので額に入れて飾っています、美しい…!)

 

そもそもの話なのですが、伊東先生は人として、師として、とても優れた人だったのではないかと私は思っています。

茨木さんらの守護職邸での切腹事件も、御陵衛士に合流したい一心で起こった事件だったことを思うと、彼らの「近藤さんには付いていきたくない」というよりかは「伊東先生に付いていけないならば生きている意味がない」というような彼らの強い信念には、凄まじいものを感じます。

試衛館組なんて仲間割れすら起きたというのに…。

 

とは言えそれは、近藤さんの師としての力が、伊東先生に劣っていたということではないと思います。

沖田さんにとって近藤さんは師であり、絶対的な存在だったと思うのですが、組を離れた永倉さんや原田さんにとってはそうではなかっただけで、対等に近い存在だと思っていた。

かつての土方さんの日記でも近藤さんが天狗になっただとか、自分たちを家臣のように扱っただとか書き記していて、試衛館組の関係性は非常に興味深いんですよね。

永倉さんたちは前にも切腹覚悟で近藤さんに文句を言っているし、御陵衛士が伊東先生を慕う様子とはまるで違う。

 

師として敬いひたすらに付き従いたい存在か、対等な立場である仲間として尊重し合い共に戦いたいか、ただそれだけの違いだったのかな?とは思います。