立華の京都探訪帖

1200年の都を歴史・文化的視点から楽しむ旅記録 ᝰ✍︎꙳⋆

御陵衛士屯所跡:月真院の特別拝観

 

昨日の「油小路の変」に続きまして、今日も御陵衛士に関する内容をお届けします。

 

新選組に入隊ののち枝分かれした御陵衛士たちは、その後なかなか屯所が定まりませんでした。

いくつかの場所を転々としたあと、ようやく東山に居を定めることになります。

それが高台寺のすぐお隣にある月真院です。

 

御陵衛士が屯所として使っていた高台寺塔頭:月真院

月真院は1616年に建立された、高台寺塔頭寺院です。

高台寺塔頭は他にもいくつか存在しており、付近にある圓徳院や岡林院、春光院らがそれです。

そんな月真院を屯所としたことから、御陵衛士は別名:高台寺党とも呼ばれているわけです。

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月真院はねねの道に面しています。

門前には御陵衛士屯所跡という石碑が立っていますので、北から来たとしても南から来たとしても、とてもわかりやすいと思います。

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月真院は通常非公開の塔頭寺院ですが、土日などの門が開いている際には、写真の辺りまでは敷地内にお邪魔することができます。

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いつもこの景色を眺めながら、いつの日かあの中にお邪魔してみたいと思っていました。

それがなんと今年の夏、ついに内部拝観させていただくことが出来ました。

 

今夏は新選組結成160周年を記念したイベントが京都市内各所で行われていたこともあり、京都観光Naviでも新選組ゆかりの地を巡るツアーが企画されました。

その中に月真院が含まれているツアーを発見。

各日店員が20名程だったので急いで申し込みましたが、どの回もそこまで混雑してはいなかったようです。

(恐らくそのツアーの存在が、あまり知られていなかったのだと思います)

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こちらが本堂です。

ついに間近で拝見出来ました。

中にも入らせていただき、隠し部屋だというお部屋の真下でガイドの方のお話をお聞きしました。

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いつか見たテレビ番組では、御陵衛士達も見たかもしれないと言われていたのがこの景色。

ようやく私もお目に掛かることが出来て感無量でした。

奥に見える塔は法観寺八坂の塔です。

天気が良い日だったので、より一層美しい風景に見えました。

彼らはここからこの景色を見て、一体何を思ったのだろうか、などと当時に想いを馳せてみたり。

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さてここで京都検定的な話になりますが、この月真院には織田信長の弟:織田有楽斎ゆかりのものが存在します。

それが上の写真の白椿です。

有楽斎自身が植えたとされており、非常に貴重な存在でもあります。

こちらもいつか拝見したいと思っていたので、今回ようやくお目に掛かることが出来て良かったです。

 

かつての月真院は、萩と椿の名所として知られており、文人墨客の馴染みとなっていたそうです。

御陵衛士がそんな月真院を屯所と定めたのは単なる偶然か、はたまた新選組では文学師範も務めた伊東甲子太郎の意図したところだったのか、、、

一体どちらだったのでしょうね。

 

さいごに

京都における新選組ゆかりの地というと、壬生や島原、金戒光明寺ばかりが注目されるような気がします。

それはやはり御陵衛士新選組とは別物、という考えが多くの人にはあるからでしょうか?

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最近は漫画の影響もあり、本光寺戒光寺を訪れる御陵衛士ファンも多いそうです。

とはいえ恐らくほとんどが藤堂平助ファンなのではないでしょうか?

かく言う私も新選組の存在を教えてくれた昔の漫画の影響で、平助さんは推しメンの一人なのですが、数年前に新選組検定の勉強の際に、史実上の実際の御陵衛士の皆さんの生まれや経歴などを知ってから、伊東先生と毛内さんが新たに推しメン入りしました。

創作物における登場人物はほとんどが美男なので、ついついその姿にばかり目が向いてしまいますよね。

とは言え生まれや育ってきた環境、脱藩してまで自分のやりたいことを貫き通すその人柄などは、史実を学ばなければ知ることが出来ない情報ですので、創作物でしか新選組を知らないと言う方には、是非史実の方も調べてみることをお勧めしたいです。