先日、藤原定家に関する書籍を読んだ感想を投稿しました。
定家は「小倉百人一首」を編纂したことでも有名な人物ですが、彼がそれを行ったのは嵯峨の山荘だといわれています。
(ただし最近は研究が進み、百人一首を編纂したのは実は定家でないという意見もあるようです)
嵯峨というのは観光地として有名な嵐山エリアに隣接する場所のことです。
嵯峨?あの辺りって全部嵐山っていうんじゃないの?と思われた方は是非以下の記事をご覧ください。
私も曖昧なところがあったのでとても勉強になりました。
定家が「百人一首」を編纂した嵯峨の山荘は、時雨殿(時雨亭)と呼ばれていました。
しかしながらその明確な場所はわかっておらず、あくまでこのあたりだったのではないかということで、いくつかの候補地として各所に時雨殿跡碑が残されています。
その一つが二尊院です。
小倉山のふもとにある二尊院
小倉山?なにそれどこにあるの?という方はお手数ですが上記の嵐山船頭さまのサイトを再訪していただき、ご確認ください。
そのままの説明になってしまいますが、二尊院の裏手にあるのが小倉山と覚えていただくのが手っ取り早いかと思います。
上が二尊院です。
この総門は、角倉了以が伏見城にあった薬医門を移築したという室町時代の遺構です。
映画・ドラマのロケ地としてよく使われる紅葉の馬場。
最近は、2024年1月から放送されているテレビドラマ『大奥』のロケ地としても話題になっています。
本堂です。
二尊院の名の由来は、御本尊が二体いらっしゃることから来ています。
桜や紅葉の名所としても有名な二尊院ですが、時期よっては境内の各所に季節の花を用いたさまざまな工夫がなされています。
花手水もあります。
御参拝の際には素敵な御朱印の拝受もお忘れなく。
ちなみに二尊院の建立は834年と古く、定家が生まれたのはその約300年後です。
つまり今の二尊院の境内全てが、その時雨殿跡地だと考えられているわけではなく、あくまで境内の一角がその候補として考えられているに過ぎませんので、その点はご注意くださいませ。
さいごに
私が初めて二尊院を訪れたのはコロナ禍が始まって以降だったかと思いますが、時折、二尊院は嵯峨嵐山の観光名所における穴場だという記述を見かけます。
ところが他の方の10年以上前の二尊院参拝ブログを拝見してみると、当時から特に紅葉の季節は大変な混雑具合です。
よって「二尊院は穴場だ」という意見には個人的には賛同しかねるのですが、訪れるタイミングによるところが大きいのかもしれないという気もしています。
秋は平日でも大変に賑わいを見せますが、夏場などは比較的空いているようにも感じられます。
そんなわけでもちろん、貸切状態のときもあります。
今でこそ日中は賑わいを見せる嵯峨嵐山エリアですが、そこはいわゆる洛外の地。
日が暮れれば人気がなくなり、何処か寂しさを感じさせる場所でもあります。
だからこそ繊細な性格である定家にとっても、この嵯峨という場所は都の喧騒から離れて心を落ち着け、何かに打ち込むにはうってつけの場所だったのかもしれませんね。