久しぶりに織田信長に関連した内容をお届けします。
6月に京都を訪れた際、本能寺跡地に行って来ました。
実は今まではあまり興味がない分野だったのですが、最近織田信長について学んでいることもあり、これを機会に一度足を運んでみることにしました。
現在の本能寺がある場所は、本能寺の変が起こった場所ではない
ご存知の方も多いかと思いますが、河原町通と寺町通りの間に位置する現在の本能寺は、織田信長が自害したといわれるあの本能寺があった場所ではありません。
本能寺の変が起こった当時、本能寺は今とは別の場所にあり織田信長が亡くなった後に、今の場所に引っ越して来ました。
本能寺跡地へは、市営地下鉄四条駅から徒歩5分〜10分。
油小路通沿いにあります。
こちらは現地にある案内板です。
元は本能小学校が建っていたようですが現在は廃校しており、その跡地は介護施設と堀川高校の本能学舎になっています。
こちらは本能寺跡地の石碑です。
案内板と石碑の場所が離れている点に驚かされました。
消失前の本能寺は広大な敷地を有していたと言いますから、この辺りが本能寺の跡地だったとして、数カ所にその痕跡が残されているのも頷けますね。
南蛮寺跡地もすぐ近くにあります
本能寺跡地から5分も掛からないであろう場所に、南蛮寺跡地もあります。
南蛮寺とは、「寺」という名前が付いてはいるものの、実際には寺ではなく、キリスト教の教会でした。
キリスト教は、迫害を受けながらも織田信長の保護のおかげで信者を増やし、その後には所司代の力添えもあって、古くなった礼拝堂が再建されたりもしました。
残念ながら信長公の死後、豊臣秀吉によってキリスト教は弾圧され、この南蛮寺も破壊されてしまいます。
南蛮寺はこの場所よりも北にあったといわれています。
本能寺からこんなにも近い場所に南蛮寺があったことには驚きました。
さいごに
歴史上の人物に興味があると、その人に関係する場所に訪れてみたくなりますよね。
本格的なファンになってくると、お墓には絶対にお参りさせていただきたいと思いますし、その人物の故郷にも足を運んでみたくなります。
本やネット上の情報だけでその人の人物像を知るのは容易な時代ではありますが、自分自身の感覚でその人物がどんな人だったかを推測する方が、既存の人物像を信じるよりもより楽しいのではないでしょうか。
だからこそ私も、興味を持った歴史上の人物に関する場所にはなるべく足を運んでみようと思っています。
信長公ゆかりの本能寺跡地、場所は京都市街中心部にあるので、観光の合間にちょっと訪れてみようと思えばいつでも行けるような便利な場所にあります。
興味のある方は是非足を運んでみてください。